蟠龍寺は大阪市北区野崎町にある浄土宗のお寺です。正式には「感應(応)山 瑞雲院 蟠龍寺」(かんのうざん ずいうんいん ばんりゅうじ)と号し、慶長13年(1608)念誉順応上人によって、創建されました。
御本尊は快慶の作風を受け継いだ「安阿弥様」阿弥陀如来立像で、鎌倉末期より伝わります。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第3番札所です。
蟠龍寺は創建時、長福寺という名前でした。
元禄16年(1703)に初演された近松門左衛門作『曽根崎心中』冒頭部に、「大阪三十三ヶ所観音巡り」第2番札所長福寺として名前が挙げられています。
長福寺から蟠龍寺に改名した由来の記録は残っていませんが、享保元年(1716)8代将軍徳川吉宗公が将軍職に就任し、吉宗公嫡男(9代将軍徳川家重公)の名前が「長福丸」でした。
享保元年頃、将軍家の嫡男と同名では畏れ多いという理由で、長福寺から改名している寺院が数多くある事から、蟠龍寺も享保元年頃に改名したと推察されます。
天保5年(1834)類焼により伽藍を焼失しましたが、嘉永2年(1849)再建されました。
昭和20年(1945)戦局悪化に伴い、都市部では空襲による類焼を防ぐ為、建物を取り壊して空き地を作りました。(当時「建物疎開」と名付けられました)
蟠龍寺も本堂など全ての伽藍の取り壊しを余儀なくされました。
昭和20年 終戦後、再建しました。
昭和41年(1966)現在、読売新聞大阪本社ビルが建っている場所から移転しました。
都心になじむよう、現代的な建築に再建し、現在に至ります。